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Title : きれい
八方美人というわけでないしそう人から言われたこともない。(腹で思われてるかもしれないけど)だけど正直なところ人に嫌われたりこの存在を否定されたりするのは出来るだけ避けたくている。もちろん議論上の異論は聞き入れる。そういう否定よりももっと痛い否定が自分に向けられるのが怖いと思う。でもそれは正直なところであって、人に嫌われて気持ち良い人は基本的にいない。
自分の造るものも同じようだ。ニュートラルでいたいとどこかで意識している。それが良いのか、悪いのか。 生活に於いても造形に於いてもそういう意識の中で自分はどこにいるんだろうという中二のようなことが頭をよぎったり、そういうのも含めて自分なんだろうというのがあったりして、答えはわからない。 そしてこれはあくまで自分の中でのことであって、人からすれば私という人間もその造形物も何がしかに寄せられて区分されているのであって、現実決してニュートラルではいられてないのだけど、それは人の領域なので関与する気はない。自分は自分のことを精一杯考えてやってればいいやとも思っていて、その末に何を言われようとかまわないのでそういう点でかなり自己中だなという結論。 矛盾はしてないと思う。 PR |
Title : 切り出し
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Title : 無欲の欲
なんだか今このときすごい無欲だなと思った。気持ちが安定していることに対して不安に思うというのはなんとおかしな話だ。
レポートに「もう一人の自分にいつしか乗っ取られていまものを考えてる自分は消えてしまいそうで怖い」というあほのようなことを書いた。書いたらどうでもよくなった。もういろんなことはなるようになるんだろうなという構えだ。それっていいのか悪いのか? 自分がやることをやるだけだ。というのは常に変わらないけど状況下の欲求不満がそれを干渉してくるときにはそれだけを考えられる精神の安定を切望する。 だけどこの今現在の無な感じになってしまうと動力不足のような感じだ。 まったく本当に安定する時などは私は死ぬんじゃないか。 |
Title : 性分
映像映画鑑賞嫌い観劇嫌いなことは方々でさんざん言い散らかしているけれど、舞台をやると決めて動き始めたぐらいからわりと観ている。映像演劇と舞台演劇とでは大きく性格の異なることは承知である。
そうして観ているとなんと自分は涙もろいんだと驚愕する。つまり私が映像や舞台を観たくないのはこの単純な性格が災いして入り込みすぎてしまうからなのだったと思い出す。 さっき実家を出るときに大河ドラマが流れていて、食わず嫌いだったものの観ているとなんと面白い。今日観たぐらいなうえに歴史の才能皆無ということで非常に頭の悪い説明になるけれど、篤姫の側近のひとの演技を観ていて泣いてしまった。あの女優さんは誰だろう。 演技がどうというか茶の味という映画は私のアイデンティティーそのものなのだけど、二度目三度目に筋を知って観たとき我修院さん演じるおじいさんは何やってるシーンでも泣きたくなる。もう10度くらい観たけど10度くらい泣いている。 |
Title : 生きてる活きてる
7月って。早いな。
やっと下絵が完成する。同じ書き込みをあと二回するのか。まあそういう無謀なことがやりたかったんだ。ああ自分の観たい絵だなやってよかったと今の時点では思っている。かなり大きいつもりでいたけどもっと大きく同じことしたい。時間の流れるのが速い。 いや終わるのだろうか。 学校のアトリエは12日までしか使えない。あとは夏休みも含めて部屋でやることになるけどかなり不安。大きくしたいとか言ってる場合じゃなかった。 けっこういろいろ賭けてるし。 賭けたところでどうだというわけではないんだけど、それ以外にやれることがない。 送信は受信されないと意味がありません。 学校の中で妙に出くわす人というのが何人かいる。お互いまったく知り合いじゃないけど1日の中で顔を会わすことがあまりに多いからなんとなくお互いを認識している。(そしてなんか気まずい) そんな中になぜか会田先生がいる。だからどうというわけではないけど。 会田先生はとても目のお綺麗なかたです。 |