[PR] BCP One way in, no way out 絵のことなど 忍者ブログ
[1]  [2]  [3]  [4]  [5
MASTER | WRITE
忍者ブログ | [PR]
Title : [PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Title : bunka
先週だけど国立博物館に行く機会があった
(御即位20年記念 特別展「皇室の名宝―日本美の華」)


何かを見聴きして思うところが有るというのは、見聴きしたもの自体が思わせてるのではなくて十中八九が自分自身の問題である
それが私の場合は線描の問題であったということ
やはり線の美なのである

どのようなジャンルで括られるものであれ絵を描くということは、何がしかの線を生むことである
線を描かず面を描いていても輪郭線というのは生まれる

今更ながら自分の絵の描き方は面を削り出して形を整える性格が強い
だから自分で分析的に見るに、量感に対するこだわりがどこかにあるのだろうとおもう
だからはっきり言って線描の整理は苦手である

線描に主軸を置かない日本画がいけないと全く思わないけど、
(そもそも日本画だなんて誰も言ってない。日本画みたいなやつと言っている)
よく説かれている日本画独特の精神性というやつは、やはり一種異様なまでの線への固執・執着によることが一つ挙げられるとおもう
やはり線描の整理は相当根気が要るという実感があるからそうおもう

(重ねて念を押すようだが、それがないから自分の絵は日本画じゃないとは全く思ってない)

これと同時に、いきなり漫画を読んでて思うことに飛ぶが
漫画の基本こそ線による画面構成
いまだかつて私は面によって作画された漫画というのを見たことが無い
見たことが無いだけであるのかもしれないが
とりあえず色んな性質上、デフォルメは線との相談会なのである
これも実感を以ておもう


この二つの事例を因果関係で結ぶとか結ばないとかは別に置いとくとして、
まあ何が言いたいんだか
別になにもないんだけど

とりあえず先人は偉大だなっていう話


あとこの展覧会で印象的だったのは、異様に絵具の色がよく残ってたこと
やっぱ皇室は保存が効いてるのかねえ
それとも修繕してるのかな?
絵巻など箔の剥がれひとつ見つからなかった
そういう意味で良い展覧会でした


全体的に世の中やっぱり仕事への執着の度合いだな

拍手

PR
Title : ああ
ものっすごいエロい夢をみた。
いやそんなことはいい。
それより、夢の色味というのは天然色映画を観ているようだと思う。

しっくり来るという言葉もずるいのかもしれないけれど、そういうことなのかもしれないと思った。自分の夢はもちろん現の視覚も、他人と共有することはできないし、だから私もだれかの視覚は永遠に知り得ない。
(だから相手が存在してる確証がない、)

私の目に心地良い色味で、私の観たいものを描く。というのは理由になるだろうか?
もとより、なぜそれをするのか、という問いかけに対して述べられたもっともらしい論理的な回答の方が胡散臭い気がする。
しかしそれをあえて問われたということは、考えろということなのかもしれない。

けれども、考えれば考えるほど、ひらめけばひらめくほど、飛呂彦の言ってることに身を以て納得するかたちとなり、ムカつく。
結論、無意識的な思考(嗜好)が、受胎した何者かによって選択を誘われているとしか―――あームカつく。


総天然色動画さよなら絶望先生のオープニングアニメがとても好き。



そう、今、首が回らなすぎてくくりたい状況下にいるのである。

拍手

『SHITEN』は9月14日を以ちまして無事に終了いたしました。お忙しい中でご足労をいただきまして誠にありがとうございました。ご協力・応援をいただきました各方面のかたがたへ、厚く御礼申し上げます。

そしてまた新しい一年を始めました。21歳始めました。どうぞ、どうぞよろしく。15日はずっと寝てました。院展へ行きませんでした。悲母観音は必ず行きます。


私はなにかと燃え尽き症候群に陥りやすいタイプだけど、この展示を終えてそれが出ていない。悔しさと確信をもらった。来年リベンジします。

確信というのは、私が制作の中で一番大切にしていることを、受信してくれる人がいたということ。それから、いま一番欲しい言葉をもらえたこと。
人知という名前をつけたのは、ここが始まりになると思ったからだった。これから超えていこう。

制作の中で浮き彫りにされる私の甘さを許すことなく、これからどれだけそれを駆除できるのか、課題は明確だ。

たくさんの課題を残すことができたSHITEN。とにかく、おつかれさまでした。

拍手

Title : とりとめ
銀のエンゼルが出た!
でもあと4枚集めなければならないという、そういう大人のしくみに飲まれてしまった。もう出られない。
もらうなら絶対に魔法缶。中学ぐらいのときに宇宙缶をもらったことがある。予想を超えて面白い、それが、おもちゃのカンヅメだ。


あっという間に会期も過ぎていく。ルデコSHITENで検索してみたら、写真系の展覧会情報配信メルマガで流していただいていたのを見つけた。

この二週間くらいにいろいろなことがありいろいろなことを思った。悲しい気持ちになったり、図星を突かれるような思いをしたりした。出来事に感応したのは、もっぱら自分の中の先行き不安な気持ちだと思う。
自分はいま世界のどの辺にいるのかというと、大きな川の橋の真ん中あたりなんだなと思う。悲しい気持ちがしたのは元の岸に二度と戻れないからで、図星だったのは向こう岸に渡りきるための課題を突きつけられたからだ。いまは、真下の川に落っこちてしまうのが怖くて怖くて仕方がない。

制作に集中して向き合ったり展示のことで動いたりしてると、自分の性格とかがありありと見える。それに驚くでもなくただ黙って見ている。それでまたなにか考えたりする。私にとって作品は自分の肉なので扱いもそのようである。
一方で人から感想をいただくことによって見える自分もある。本人としては常にリアルタイムなので、自分の中の変化というのがなかなかわからない。人にはそれが傍観できる。それを素直に告げてもらえることほどありがたいことはない。
いつも自分のことはわからないなあと思う。

先日バイト先のお客さんにエアー・プチプチをたくさん分けていただいた。お店のひとはいつもとても応援してくださるし、本当に何にも代えがたいありがたいことである。
友人と、家族と、支えてくださるかたがたと、私には大切なものがたくさんあって本当に幸せなことだ。

拍手

Title : 一週間前
乾け乾け乾け


One way in,~と思ったはなし。
渋谷では搬入出の業者委託をやめた。5日間の展示では割に合わない。同じ作品に手を加えて10月にコンペに出すのだけど、ここから五浦へ、往復すると私の給料2ヶ月ぶんを覚悟しないといけない。
だけどこれはこの先ずっと付き合う問題だ。私の場合ではあるが、作ってる側からするとそこまで丁重にしないでもいいから、美術品輸送のエコノミーパックを設置してもらいたいところだ。ちゃんと梱包して水濡れをはじめとするいくつかの注意札をつければ、ふつうの宅配便でも全然いいなと思う。私は自分の作品に対する意識が低いんだろうか。そう言われたら考えるけど、しかし正直なところだ。
(もちろん私が人の作品を運ぶ立場だったら神経使う。同じことなんだな。そういえば私はキュレーションの学生だった!なんだかねー)

だって輸送費が制作費を大きく上回るなんて、ばかばかしくなってしまう。私がやってることの制作費は決して安くないから、なおさら。万が一鑑定額がすごい桁になる作家になったとしても、このへんの意識は変わらないきがする。もっと自分の作品に気を使った方がいいのだろうか。このことは機会があったらまわりの友人たちにも聞いてみたいと思う。ただし自分は、ディスプレイに関しては慎重にしたいタイプ。

いつでも、作品に価値をつけるのは他人なんだなと思った。以前コンペの公開審査に行ったときはマイナスの意味でそれを感じたのだった。いずれにせよ、世間的な価値ばかり意識して制作するのは避けたい。しかしコンペとはそういうもので、それ以外に道を求めるならギャラリー展示で、どっちでもなければ教育機関にしがみつくことなんだろう。

いいからはやく乾いてほしい。ドライヤーはー使いたくーないーから

拍手