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Title : AOHARU YOUTH
いまはなぜか油彩をやっている。
描きたいときに描けるからねこれ見よがしに描き始められて良い。 けど今扱うべきは岩絵の具なのにこうやっていつもやるべきことからは遠ざかっている あいかわらずの私だ。20歳でも何も変わってないやー 20歳になったらどうなってしまうのだろうという訳のない焦燥があった。 20の大台に乗ったらもう遊んでられない気がして けど焦って何も手が着かないのはマーベラス・本末転倒でした。 とにかくこれからも絵を描いて行きます。 20年の間に関わってきた人々、これからもどうぞよろしく。 今日からは生まれ変わったつもりでやっていきます。 そんなことよりコロッケが食べたいよ。 20年というのはけっこうな長い年月だけど、 それでも大人にならない。人間は要領の悪い生物だなあー と、バイト中とかにぼんやり思った。 魚や他の生き物は息をつく間もないほどの早さで生きているのに ふしぎだなー さぞかし他の動物はにんげんに興味津々だろうと思う。 最近友達の影響もあってラーメンズのコントをよく観ている。 ずっと敬遠していたのだけど。だってなんかびだいせーぽいなーと思ってさー でもいいなあーと思ったので観てる。 最近は実に陽の雰囲気がもっぱら好ましいのである。 悲しいことを悲しく表してもなあーと。 とくに「器用で不器用な男と不器用で器用な男の話」というのは毎日観ている。 やっぱり結局共感してしまうのだった。 これは焦燥感そのものなのだけど毎日毎日観てしまう。 めをそらせないー 高山辰雄先生、どうぞ安らかに ![]() PR |
Title : かえった[帰・還・孵]
お盆中実家に帰ったこと。
いろいろあり過ぎて総括するのがたいへんだ でも実りある数日間だった(美大生としてのほうで) 失意を抱え実家へ。 翌日、毎年手伝っている馴染みのお寺の「施餓鬼」という儀式へ。 建築家のお仕事をされている方とも再会。日本の業界の模様を聞く。 すこしひるんだ。こんな様子で、私たちは変えていけるのだろうか。 街の景観を、当たり前に広がる景色の美意識を変えることは 思った以上に難しそうだ。なにしろ、政治とか、お金とかね。 やっぱり、勉強して、お金持ちになることが必要だと感じる。 そして和尚様は「中国の社会事情」について皆に話されていて 聞きながら私は落ち込んでいた。なぜなら やっぱりアートなんて、享楽的で金持ちの戯言に過ぎないのだな と、かねてから思ってたことを再燃させていたから。 中国の社会格差、格下になってしまった人々の暮らしの凄まじさは 話としてはしっていたけれど、和尚様が殊更「食」に関してのことをお話しされていて、なんとなくピンときて悲しくなった。 教授の話していることと全然ちがう。 「食」を専門としている先生がいて、その先生は中国と言えば上海蟹! というような、中国のグルメに関して話していたことがある。 その時は特に何の気無しに聞いていたのだけれど、 その話がいささか広い中国の全てではないことに私は気付いていなかった。 マネジメントにしてもミュゼオロジにしても、前提としてあるのは 「先進国」「生活の社会水準が最低限を満たしている」 もっと言えば「欧米に遅れるな」が根底にあって 上の人たちの話でしかないんだ。 もっと庶民は、その日の食糧を考えなきゃならない人は、 話にはのぼってこない。 論外。 ああなんで気がつかなかったろうと思って そして悲しくなった。 やっぱり芸術なんて必要ない。 と、かなり落ち込んで帰った。 夕方、母に勧められるがままに「京都五山送り火」の生中継を観ていた。 山肌に巨大な文字が炎によって造形される。 街ぐるみで協力して電灯を落とし、街ぐるみで行う造形。 その炎に人々は故人の魂を想う。 そこでまたピンと来た。 芸術と対峙する姿勢は、故人を想うときと同じだ。 とても厳かなものだ。 そうだ何を忘れていたんだろうか 芸術はそれ単独では存在し得ない。 特に、信仰との結びつきは捨て置けない。 むしろルーツなんだ。 それが、芸術そのものだけの概念が一人歩きして 私の中や上流社会と呼ばれる場で定義されていたんだ だから必要無い形で肥大してたんだ そうだ忘れてはいけないや。 それから二日間ぐらいだらだら過ごし、 その後1泊2日の家族旅行に北茨城と福島へ。 実際は私の目的に両親と兄を付き合わせただけだったけど 塩屋崎の海岸で波をスケッチする。 海への興味が徐々に大きくなる中で、そしてタイムリーな話題もあり 「波」への思い入れが出来た。 だけれどあと5回は海との対話が必要だなーと思う。 家族を待たせているとなかなか没頭もできなかったし、 夏の間に東京のここから近い海へ小旅行しよう。 水族館へも行けた。だけど水族館の立地の環境は不思議だと思った。 海岸近くは不自然でいっぱい。 五浦の天心美術館へ行って、帰り際につくば美術館へ行って。 つくばはテキスタイルの展示だった。思うこともあった。 ●テキスタイルのディスプレイはいつも凝られているけれど作家はディスプレイのことを想定して制作するのか。ディスプレイにどこまで関与するのか。 ●素材と技法との掛け合いが造形を成すという思想にはとても納得がいく。けれどテキスタイルアートの素晴らしさの中に「用の美」のようなんと近しい価値があると感じる私は今回の作品の多くに彫刻立体との差異を問いたい。 なんつてー そんなこと言ってつくば美術館とてもよかったです。 テキスタイルに積極的な姿勢を持つようになったのも単純な理由。 今回の旅行の間にふとよぎったこと。 私の作品は視野が狭い。 かなり私の視点でしかない。 それが持ち味なのかなー それを意識して50号に取組もう。 さあ寝よう。明日は会えますように! ![]() |