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Title : 急いては
事を仕損ずる
正しいとか間違いとかそういうふうに答えを二極化するのもまた一種の逃げだ。 考えることを怠るな。 いつでも答えを急いでいて、いったい何に追い立てられているのやら。 答えが出るだなんて言う断定もおこがましい考えなのだ。 一生解けない数式でも、ぐちゃぐちゃ計算し続けなくては、話にすらならない。 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、計算で紙を真っ黒に塗りつぶすことそれ自体が、仕事でしょう。 そういうことを選んだのでしょう。 なんで急ぐの。答えに、すがるな。 命をくれてやる。 一個ずつ進んで、一個ずつ休みなさい。 向き合いなさい。真に向き合いなさい。 停止するから次に行けることを受け入れなさい。 俯瞰は、いまは必要ない。先読みも現状把握も意味を持たない。 大切に考えなさい。 PR |
Title : これで終わり
すずしくなった。そういう頃は毎年決まって肉体的にも精神的にも落ちている。誕生日付近は毎年良いことがない。
年寄りみたいに、ひとつするのと同じ量休まないといけない。こんなふうに定期的に寝込むようになったのは一体いつからだったろうか。私は一体なぜこうなっただろうか。もうずいぶん長いこと七年以上この調子だ。情けない。でもこうしないと保たない。 いちばん情けないと思うのは人に迷惑を掛けていることだ。舞台の件では、もう取り返しが着かないほどだ。こんなことは、あってはならないから、手を広げるのはこれで最後にしようと思う。 舞台をやったり、畑の違うことは、しばらくお休み。思えば、自分の畑が出来てきてるのかもしれない。ずっと欲しかったものが。 最後と決めたから、精一杯やろうと思う。決して畑違いなどという意識ではなく、いまやるべきこととして、やってみようと思う。 私などはただの器にすぎない。器は、備わっている矮小な頭脳など過信して、躯に宿したものを抑圧してはならないのだ。宿主に躯をくれてやるのだ。 |
Title : もうろう
感動するほどうまいたばこと感動するほどおもしろいマンガに出会った。
京都のたばこ屋で買っておいたやつにやっと手を出したらびっくりするほどうまかった。サンデーズファンタジーシガレット。近所で買えるとこを探す羽目だ。さがしてやる。 夏休みに身に付いてしまった深夜アニメ全制覇の中で、これはというやつの原作を大人買いして読んだ。原作の三倍くらいおもしろかった。秘密。来週が多分アニメ最終回。 ゲオでギャグマンガ日和3上下巻借りた。大好きな聖徳太子シリーズの小野妹子の声優が替わってて泣いた。3に来てなんで替えちゃったの。 一週間心が折れていた。まさかこんなに落ち込むとは思ってもみなくてびっくりした。頭で思うのと実際の目に見えないダメージは別なんだな。体中に穴があいていてることを本人は笑っている。 頭で信じてなくても心が信じてることがある。頭と心は別の生き物だなとつくづく思う。持て余す。逆に言ったら「心からそう思う」というせりふはその言葉を頭が発してる時点で心から思ってない。心は言葉を持たない。 気持ち悪! |
Title : 支点と始点と
『SHITEN』は9月14日を以ちまして無事に終了いたしました。お忙しい中でご足労をいただきまして誠にありがとうございました。ご協力・応援をいただきました各方面のかたがたへ、厚く御礼申し上げます。
そしてまた新しい一年を始めました。21歳始めました。どうぞ、どうぞよろしく。15日はずっと寝てました。院展へ行きませんでした。悲母観音は必ず行きます。 私はなにかと燃え尽き症候群に陥りやすいタイプだけど、この展示を終えてそれが出ていない。悔しさと確信をもらった。来年リベンジします。 確信というのは、私が制作の中で一番大切にしていることを、受信してくれる人がいたということ。それから、いま一番欲しい言葉をもらえたこと。 人知という名前をつけたのは、ここが始まりになると思ったからだった。これから超えていこう。 制作の中で浮き彫りにされる私の甘さを許すことなく、これからどれだけそれを駆除できるのか、課題は明確だ。 たくさんの課題を残すことができたSHITEN。とにかく、おつかれさまでした。 |
Title : とりとめ
銀のエンゼルが出た!
でもあと4枚集めなければならないという、そういう大人のしくみに飲まれてしまった。もう出られない。 もらうなら絶対に魔法缶。中学ぐらいのときに宇宙缶をもらったことがある。予想を超えて面白い、それが、おもちゃのカンヅメだ。 あっという間に会期も過ぎていく。ルデコSHITENで検索してみたら、写真系の展覧会情報配信メルマガで流していただいていたのを見つけた。 この二週間くらいにいろいろなことがありいろいろなことを思った。悲しい気持ちになったり、図星を突かれるような思いをしたりした。出来事に感応したのは、もっぱら自分の中の先行き不安な気持ちだと思う。 自分はいま世界のどの辺にいるのかというと、大きな川の橋の真ん中あたりなんだなと思う。悲しい気持ちがしたのは元の岸に二度と戻れないからで、図星だったのは向こう岸に渡りきるための課題を突きつけられたからだ。いまは、真下の川に落っこちてしまうのが怖くて怖くて仕方がない。 制作に集中して向き合ったり展示のことで動いたりしてると、自分の性格とかがありありと見える。それに驚くでもなくただ黙って見ている。それでまたなにか考えたりする。私にとって作品は自分の肉なので扱いもそのようである。 一方で人から感想をいただくことによって見える自分もある。本人としては常にリアルタイムなので、自分の中の変化というのがなかなかわからない。人にはそれが傍観できる。それを素直に告げてもらえることほどありがたいことはない。 いつも自分のことはわからないなあと思う。 先日バイト先のお客さんにエアー・プチプチをたくさん分けていただいた。お店のひとはいつもとても応援してくださるし、本当に何にも代えがたいありがたいことである。 友人と、家族と、支えてくださるかたがたと、私には大切なものがたくさんあって本当に幸せなことだ。 |