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たとえば
アイスランドという国家が崩壊しても、その土地という存在事実からしては実態のつかめない机上の出来事だ。
けれども、国家が代われば現存を生かすのか殺すのか方向が示されることになる。

そういう関係性。夢と現の関係性。
どちらも夢で、どちらも現と言えるかもしれない。
もうどっちがどっちだか。

だからいくら目をつむったって、それも要素だ。つねに考えるべきは、考えたくないことこそだ。

私が目をそらしたいことは人の業だと思う。神性を探っているのはそのためだ。
美しかったり醜かったりする人の業、人が人であるという嬉しくて悲しい性
それが怖くて仕方がない。だから目をつむりたい。だけど瞼一枚隔てたところで、そこから無くなりはしない。何より私が生まれた場所であるし

アートは、人の業を忘れたり、思い出したりする。

私は私の怖いと思うものを取るに足らないものにしたがっている。だから山に行く。木を見る花を見る神について考える
大きな存在を目の前にして打ち消してしまおうと思って
成仏させるために作品に落とし込む

だからやっぱり私は人であることからものをつくるのだ。



水戸芸術館現代アートギャラリー“日常の喜び”

日常のものを通せば日常は超越され、反対に日常から逸脱した世界を造れば日常を感じさせられる
恐ろしい構図だと思う。どちらからも日常は排除され得ないのだ。

そういうものを取り扱っているのだ。

そういうものを取り扱っているのに、それがどうして街興しになるだろうか
とてつもなくなめられた心地がする
それはアートがなんとかするんでなくて、アートを使ったマネジメントがなんとかする問題だろうに

アートと街興し、冒頭に戻る関係性だが、この誤解こそ人の業だ。

これに関して、どうにも先が見えない。

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Title : マゾなんだ
チックショー



私はマゾだったそういえばと今日思い出した。
打たれ弱いからあんまりガンガン来られるとへこたれるけど。
基本的に負のパワーで向上するタイプの人なんだね。
くやしさをバネにがんばるぞ
当面続いて欲しいなあハングリー精神。
やさしいひとがいっぱいいるのが幸せだね。
マゾだからヘルシングとか観てキュンとするんだと思う。


大切なことは忘れずに忘れずに忘れずに

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洗濯(夜中の)
するとすっきりする。
生まれ変わった気持ちになる。
インスタント生まれ変わりだ洗濯は。







今はとても耳を塞ぎたい気分だ。
耳を塞いで自分の心臓の音に耳をそばだてていたい。
いまものすごくいろんなものに明るいけどそれだけにテンションでなんでもやってしまいそうで怖い。
あたまがぐるぐるでひとつのことに集中できない。困る。
ことばを話してもとりとめがないし思考があっちへ行きこっちへ行き自分で追いつけないのだ。
これの諌め方もなんとなく知ってるけどね。ああはやく取り戻したい。


高尾山に自生してた背の低いリンドウがきれいだったなあ、カズラを見れたのも嬉しかった。
なんでもしっとりとつやがあったものだ。
乾き色じゃあないんだぜ

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Title : 氷の粒
モギケンが出てた脳科学の番組で、天才の脳についてやっていたのを観たことがある。
自閉症患者の中に、脳の一部が過剰に活性化する症候群の人が稀に出ることがあるのだそうだ。
中でも記憶力の面が天才的に特化する。


その内に、天才風景画家というのがあった。
彼は一度見た風景を、実に細部に至るまで記憶し、その記憶のみによって正確な風景画を描く。
神懸かり的なものだと思う。
しかしそれが脳の活性化による業であるということは、人間本来のポテンシャルということになる。
つまり、神業ではないのだ。


もちろん私は彼に嫉妬する。
全く一握りにも満たない人間がそれを開化するということは、神に選ばれたに等しいことだ。
しかし、考える。
彼にとってみれば、記憶の風景を描く行為は、頭の中の写真を写し取る行為なのだそうだ。
それは、ニュークリエイトではない。


神とは、巨大で膨大な未知。
未知を受胎して身体で成形するのが、アーティスト(と、飛呂彦は言う)
もちろん、ほぼすべての人間が駆使できずにいる知らない能力は、未知だと言えるからつまり、アートなのだと思う。


だけど本当に、未知は人の手から生まれるのだろうか。
信じていることだけれど、

脳で廻る生き物だから。
脳で知る。脳で感じている。
シックスセンスの類も、脳が感じ取って、認識するのだ。

未知とは、人の枠を超えていること。

脳で感じたものを、脳が“造れ”と言う。ならそれは、人の枠内の出来事?
所詮アートは、人の枠内で生まれるのだ、


そこまで考えて、そりゃそうだと思った。



重ねて言うが、天才風景画家はすごいと思っている。

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Title : あめがふり
秋がすき。でも秋はさびしい。きのうは1日良いお天気で空が良かった。夜中には星がきれいだった。きれいだけど、空気は昏睡状態患者の病棟のにおいがする。

そこに叔父が五年いる。こんどの9日で丸五年になる。長くともおそらく今週中には、という知らせを受けたのは今日のことである。

秋は死臭が漂っている。

等間隔に人が横たわっている部屋で名前の付いている類の感情とか感覚が起こらない。視覚的なものを情報処理しているだけ。夢を見ているときと似た感覚だと思う。

でも、ああこれは秋のにおいだ。という五年前の合点があんまり鮮明である。






I THOUGHT YOU WERE MY PAL/TOMAN

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